【スグルのリアル体験 13】〜夢と可能性の発見

〝学校用務員〟は、かつて〝仕丁〟や〝小使い〟と呼ばれ、長い間、

職業差別を受けてきた歴史がある。

「簡単な仕事をしてボーッと過ごせばいい職業」・・俺も最初はそんなふうにナメていた。

 

そんな俺に、現実の厳しさとこの仕事の本当の価値を教えてくれたのが、俺の師匠でもある秋山先生だった。

秋山先生は、ただの用務員ではなかった。学校で必要な技術を身につけ、壊れたものを直し、

ときには教員や子どもたちが使う教材を先生達と一緒に作り上げる。

それだけじゃない。秋山先生は、子どもたちや教員、さらには地域の人たちと深く関わり、

信頼を築いていた。困った顔をしている子どもがいればさりげなく声をかけ、時には保護者の相談にものる。

彼の人間味あふれる姿勢に触れるたび、俺は衝撃を受けていた。

 

秋山先生が俺に言った言葉が忘れられない。

「小使いなんて呼び方や歴史があったけどな、今の俺たちにできることは、学校を支えることだ。

どんなにいい授業をする先生がいても、教室が壊れてたら教えられないだろう? 

俺たちの仕事は目立たないけど、

子どもたちが学びやすい環境を作ることなんだよ。」

その言葉が、俺の心に深く刻み込まれた。

 

俺も学校用務員として働き始めてから、少しずつ子どもたちや教員と接する機会が増えてきた。

ガラスが割れたら直し、体育で使う道具を修理し、校庭の草を刈る。

当たり前だと思っていた事が、実は子どもたちの学びを支える大事な仕事だと実感し始めた。

 

あるとき、俺が修理した椅子を使っていた子どもが、「ありがとう!」と笑顔で言った。

そんな何気ない一言が、俺にはとてつもなく嬉しかった。

「こんな俺でも役に立てるんだなぁ・・」

 

そんなふうに思い始めていた矢先、学校の職員として6年間働いた後に、行政の部署に異動できる〝職種変更試験〟の案内が届いた。

正直、迷った。行政に行けば、今より安定した仕事が待っているかもしれない。

 

でも、心の中で何かが引っかかっていた。

そのとき、秋山先生の背中が俺を強く引き留めた。

秋山先生の生きざま・・学校を支え、子どもたちや地域の信頼を得てきたその姿・・が、

俺にこう訴えかけてきた。

 

「この仕事には、もっと可能性があるはずだ。」

秋山先生のように、学校で「必要とされる存在」になりたい。子どもたちの未来を、

陰ながら支える仕事を誇りにしたい。そう思ったとき、俺の中でフツフツと湧き上がるものがあった。

 

「もう迷うのはやめよう。俺はこの仕事で貢献していく。」

俺は〝職種変更試験〟を受けないことを決めた。

 

そして、この学校用務員という職業で、一生をかけて学校や子どもたちの力になろうと心に誓った。

秋山先生のように、子どもたちが気軽に話しかけられる存在になりたい。

教員が授業に専念できる環境を作りたい。地域の人たちから信頼される人間になりたい。

この仕事には、そんな夢や可能性が詰まっている。

学校用務員・・この仕事が、俺の人生を賭けたい仕事になった。