【スグルのリアル体験53】〜けんじ君の自立を支える〜

その理由は―

けんじ君の家は、母子家庭だった。

 

お母さんは重度の〝うつ病〟を患っており、

家の中は何も手がつけられない状態。

 

週に一度、ヘルパーさんが来てくれるというが、それ以外はすべてけんじ君の肩にかかっていた。

担任の先生からは、

「けんじ君はとても賢い子ですよ」と聞いていた。

 

実際、会って話すと彼の目はどこか冷静で、心の奥で何かをずっと見つめているような深さがあった。

彼の状況を聞いたとき、

まるで鏡をのぞき込んだような気がした。

 

――それは、かつての自分と重なったからだ。

 

私は小学校1年生の夏、母を白血病で亡くした。

父と2人暮らしになったが、父は深い悲しみを背負いきれず、ギャンブルと酒に溺れていった。

ほとんど家におらず、私はいつも“ひとりぼっち”だった。

 

けれど、不思議と父を“嫌い”にはなれなかった。

それどころか、私は父を“尊敬”していた。

一所懸命に、男手ひとつで自分を育ててくれていると、子どもながらに理解していたのだろう。

 

電気も水道も止められた夜、

マッチを擦ってローソクを灯し、

晩ごはんは2人で“ポテトチップ”と“コーラ”だけ。

それでも私は、心のどこかで笑っていた。

 

悲壮感などなかった。

むしろ、あの夜は小さなキャンプのようだった。

だから俺は、胸に誓ったのだ。

「大人になったら、絶対に父を楽にさせてやる」と。

 

――ちょうど、小学5年生のころだった。

 

だから今、けんじ君に何が必要かは、痛いほど分かった。

“可哀想だから守る”ではない。

“放っておく”でもない。

彼には、自分の力で立つための“支え”が必要なのだ。

手を貸すのではなく、“寄り添う”こと。

そうして自分で歩けるように、そっと背中を押してやること。

そう思っていたその日――

 

お昼休み、けんじ君がランドセルを背負って、

〝用務員室〟にやって来た。

少し不安そうな目で、でも確かに、自分の意志で立っていた。

その姿を見た瞬間、私は確信した。

この子は、変われる。

いや、すでに一歩を踏み出しているのだ。